僕が映画を見始めた1970年代、映画界もその黄金時代が過ぎ、立て直しに迫られ、外部資本による大作映画の時代に移行しようとしていた。
その頃の市川崑監督(1915年生まれ)は、1000万円映画と云われたATGで『股旅』(1973年)を撮り、『吾輩は猫である』(1975 年)など試行錯誤しつつ、角川映画で『犬神家の一族』(1976年&2006年)を撮り、依頼された物をそつなく撮る職人監督になった頃で、その独特なモダニズムのテクニックは気になりはしたけど、熱心に新作を追いかけるほどの監督ではなかった。
しかし、その後、開催された「日本映画名作祭」にて、竹山道雄原作の『ビルマの竪琴』(1956年&1985年)、幸田文原作の『おとうと』 (1960年)をスクリーンで観た。
さらに三島由紀夫原作の『炎上』(1958年)が、地元の映画サークルで上映されてから、市川崑監督の偉業を知った。
『ビルマの竪琴』の一兵卒としての戦争責任の問題、『おとうと』の義母とのなさぬ仲に不満を抱きつつ、姉弟愛を深める話、『炎上』のコンプレックスから金閣寺放火に至っる若者と、市川崑監督は「原作を素材に『近代化と個人』の問題にこだわり続ける」と、当時の映画批評誌に書かれているが、近代化にあらがう主人公たちの姿に共鳴を覚えた。
市川崑監督の作品は、島崎藤村原作の『破戒』(1962年)、松田道雄の育児本の映画化『私は二歳』(1962年)、堀江謙一の体験記『太平洋ひとりぼっち』(1963年)など絶頂期といわれる時代の作品も観ている...
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(引用 yahooニュース)
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その頃の市川崑監督(1915年生まれ)は、1000万円映画と云われたATGで『股旅』(1973年)を撮り、『吾輩は猫である』(1975 年)など試行錯誤しつつ、角川映画で『犬神家の一族』(1976年&2006年)を撮り、依頼された物をそつなく撮る職人監督になった頃で、その独特なモダニズムのテクニックは気になりはしたけど、熱心に新作を追いかけるほどの監督ではなかった。
しかし、その後、開催された「日本映画名作祭」にて、竹山道雄原作の『ビルマの竪琴』(1956年&1985年)、幸田文原作の『おとうと』 (1960年)をスクリーンで観た。
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さらに三島由紀夫原作の『炎上』(1958年)が、地元の映画サークルで上映されてから、市川崑監督の偉業を知った。
『ビルマの竪琴』の一兵卒としての戦争責任の問題、『おとうと』の義母とのなさぬ仲に不満を抱きつつ、姉弟愛を深める話、『炎上』のコンプレックスから金閣寺放火に至っる若者と、市川崑監督は「原作を素材に『近代化と個人』の問題にこだわり続ける」と、当時の映画批評誌に書かれているが、近代化にあらがう主人公たちの姿に共鳴を覚えた。
市川崑監督の作品は、島崎藤村原作の『破戒』(1962年)、松田道雄の育児本の映画化『私は二歳』(1962年)、堀江謙一の体験記『太平洋ひとりぼっち』(1963年)など絶頂期といわれる時代の作品も観ている...
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